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日本女子バレー史上最高の選手 木村沙織

キムヨンギョンの記事を書いたら、やはりこの人に触れないわけにはいかないですよね~
というわけで、今回は21世紀日本女子バレー界最大の功労者・木村沙織の歴史をご紹介します。

 

2003-2004 アテネ

2003年ワールドカップ。世間がメグカナフィーバーに沸いたこの大会で木村は全日本デビューをしました。
当時弱冠17歳。「スーパー女子高生」と呼ばれ世間から大きな注目を浴びました。
翌2004年のアテネ五輪最終予選。開幕戦かついきなりの大一番・イタリア戦でなんと17歳の木村が衝撃のスタメンデビューを果たします。
いやー、後にも先にもこんな衝撃的なスタメンはないんじゃないんですか。
オリンピック出場のかかった超大事な試合、しかも格上相手に17歳の新人ですよ!?
結果、この戦術がどハマりし、日本は強豪イタリアを3-2のフルセットで破る大金星を上げます。
その後アテネ五輪出場を決めた日本でしたが、柳本監督の厳しい追い込みに徐々にチームが空中分解していき、肝心のアテネ本番では得意としていた韓国に0-3で敗れるなどいいところなく、ベスト8で敗退。
木村自身も腰痛を発症し、思う存分プレーができないまま不完全燃焼に終わった五輪でした。

2005-2008 北京期

2005年以降、完全に全日本のスタメンに定着した木村は、諸外国の鋭いサーブに苦しみながらもサーブレシーブを磨き続け、2枚エースの高橋・栗原を支える若手スパイカーとして不動の地位を確立します。
この時期は柳本監督の意向でセッターにも挑戦したりと、木村のマルチな才能がグイグイと磨かれたまさに「成長期」であったと言えます。

そんな木村に転機が訪れます。
2008年春、親友で高校時代のバレー部の後輩であった横山選手が病気のため亡くなってしまいました。
親友の死を悲しんだ木村は、彼女のためにもと奮起し、これまで以上に真剣に全日本の試合に臨むようになったと言います。
実際、2008年以降の木村は得点を決めた後の表情がぐっと険しく、エースらしくなっていったように感じます。
迎えた2度目の五輪、日本はまたしてもベスト8の壁に阻まれたものの、木村のパフォーマンスはアテネ五輪より格段に向上しており、なんとエースの高橋・木村を抑えて大会通算日本チーム内トップスコアラーの座を奪ったのです。
既にこの時、「全日本のエース」としての片鱗を見せ始めていたのです。

2009-2012 ロンドン期

2009年にスタートした眞鍋ジャパン。
その中で、木村は軸としての役割を監督から求められます。
「木村が良ければ日本は勝てるし、木村が悪ければ日本は負ける」と監督から言われ、当初はぴんと来ない様子だった木村。
しかし、2009年秋のグラチャンでエース栗原が怪我で途中離脱し、急きょエースポジションを任された木村は、まさかのドミニカ共和国戦敗戦を経験し、全日本の試合で始めて悔し涙を流しました。
「今まで自分がどれだけ他の人を頼っていたかを痛感した」と後のインタビューで木村は語っています。
そしてこの大会での悔しさを機に、木村は爆発的な成長を遂げます。

2009-2010Vリーグ。
韓国のエース・キムヨンギョン率いるJTが圧倒的な強さで他チームを蹴散らしており、最大の優勝候補と思われていました。
木村率いる東レは、レギュラーラウンドで一度もJTに勝てていません。
そして迎えたVリーグ決勝。キムヨンギョン率いるJTと木村率いる東レの壮絶な打ち合いは今でも「Vリーグ史上最高の決勝」とも言われています。
この試合、キムヨンギョンと木村沙織の両エースの打ち合いとなり、木村はヨンギョンに打ち勝ちます。得点数、決定率、どの数字を見てもあのヨンギョンと互角以上の数字をたたき出したのです。
そして東レがまさかの優勝。木村自身も初のVリーグMVPを獲得します。

その年2010年の木村はまさに「神」。
ワールドグランプリでは予選リーグ、決勝リーグともにベストスコアラーを獲得し、2001年以来のブラジル戦勝利に大きく貢献します。
そして迎えた世界選手権、全試合フル出場の木村は全選手中ベストスコアラー第2位をはじめとして、ベストスパイカー、ベストレシーバー、ベストサーバーなどでもトップ10に食い込み、世界屈指のスーパーエースとして活躍し、日本に32年ぶりの銅メダルをもたらしました。
このアメリカ戦の感動は一生忘れないですね。。。
まさか全日本がメダルを取るシーンが見れるなんて、北京の頃は微塵も思っていませんでした。
2011年は、前半に早いスパイクに取り組み一時調子を落とすものの、ワールドカップ後半からは元の高いトスでガンガン決めまくり、あと一歩で表彰台というところまで全日本を導きます。

そして2012年ロンドン五輪
準々決勝の中国戦で、Wエースの木村・江畑が共に33点を叩きだす大活躍で見事中国に勝利、準決勝のブラジルには敗れたものの3位決定戦で韓国を確実に倒し、見事28年ぶりの銅メダルを獲得したのでした。

2013-2016年 リオ期

ロンドン五輪でメダルを獲得したことで目標を達成した木村は一時引退を考えるものの、眞鍋監督のラブコールを受け翻意。キャプテンとして新生全日本を引っ張ります。
しかしこのころから、徐々にスパイク決定率が低下していったのです。
ロンドン後に行ったトルコリーグでスパイクフォームの修正をさせられたことで、自分のタイミングを見失ってしまったこと、新セッターとの呼吸が合わなかったこと、年齢的なもの、など色々あるとは思いますが、、、
結局、ロンドン前の大エースの輝きを見ることができたのは、2016年のリオ五輪最終予選イタリア戦だけでした。
苦しいチーム状況のなか迎えたリオ五輪では、木村自身もチームも全くいいところなく、ライバル韓国にも敗れ、他の格上チームからは1セットも奪えない惨敗でベスト8敗退となってしまいました。
そしてこれが木村の全日本での最後の姿となりました。

最後に個人的な印象

木村というと、どうしても高橋や栗原、荒木に囲まれた天真爛漫な末っ子のような印象が強いのですが、リオの頃には大ベテランになっていて、時の速さを痛感しました。
リオは残念でしたが、ロンドン期の功績は決して色あせることはありません。
あの竹下佳江が「沙織は私が今までプレーしてきた日本人選手の中で最も高い能力を持った選手」とインタビューで答えています。
私もその通りだと思います。
2003年に女子バレーにはまって以降、色んな選手を見てきましたが、数ある「エース」と呼ばれた全日本選手の中で本当のエースは木村沙織しかいませんでした。
木村ほどの土壇場での勝負強さ、守備力、サーブ力などなど、全てひっくるめた総合力のある選手は日本には他にいませんでした。
「日本バレーがオリンピックでメダルを取る」という、昔話か夢物語かのようだった言葉が現実となった奇跡をこの目で見ることができたのは、間違いなく木村沙織という選手がいたからです。
本当に感謝してもしきれないですね…
今年の春に惜しまれながら引退されてしまいましたが、今後の人生におけるご多幸を心から祈っています。
夢を見させてもらいました!