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Couch Potato

旅行・バレーボール・映画などなど、日々のあれこれについて綴るブログです。

日本女子バレー 歴代エース列伝

以前書いた、女子バレー栗原恵選手に関するこちらの記事へのアクセス数がかなり多くびっくりしております。

couchpotato.hatenablog.jp

 

そこで、どうせなら日本バレーのエースの歴史を振り返ろう!ということで今回は日本女子バレーの歴代エースたちを紹介します。

白井貴子 - 日本バレー最初にして最高のエース

身長:180cm

愛称:ビッグ

日本のバレーボール史の中で、木村沙織選手とともに歴代最高の選手として語られることが多いのがこの白井貴子選手。

 

ご両親が朝鮮半島出身で、18歳の時に倉紡倉敷に入社すると同チームの監督の養子となり日本国籍を取得します。

1970年代を代表する世界的大エースとなった白井選手は1972年ミュンヘン五輪で銀メダル、1976年のモントリオール五輪では金メダル、1977年のワールドカップでも金メダルを獲得するなど栄華を極めます。

そしてその活躍が国際的に評価され、2000年に日本人として初めてバレーボール殿堂入りを果たします。

なお、バレーボールファンなら耳にしたことぐらいはあるであろう「ひかり攻撃(距離の長いBクイック、今でいう平行に近い)」は打倒ソ連に向けてこの白井選手がセッターと特訓の末編み出した必殺技です。

 

横山樹里 - 政治に泣かされた悲運のエース

身長:174cm

愛称:ジュリ

その愛くるしい『ジュリ・スマイル』で日本中から愛されたヒロインがこの横山樹里。

1976年モントリオール五輪では金メダルを獲得するも、エース白井の陰に隠れ控えとしての出場にとどまった。

モントリオール五輪後に白井ら優勝メンバーがごそっと引退すると、頭角を現した横山は全日本のエースとして活躍。

1978年世界選手権、1981年ワールドカップではチームを銀メダルに導く活躍を見せるも、エースとしての金メダル獲得が有望視されていたモスクワ五輪は、西側諸国による参加ボイコットにより参加できないという不運に見舞われました。

 

結局1982年に現役を引退し、その後はママさんバレー等で指導者としてご活躍されているそうです。

 

江上由美 - あの中田久美を育てあげたセンターエース

身長:175cm

愛称:ユミ

2017年度から全日本女子監督に就任する元天才セッター中田久美

その中田を強烈なキャプテンシーで育て上げたのがこの江上由美です。

1976年にバレーの名門・日立に入社すると1979年には日立の主将に就任し三屋裕子中田久美らとともに日立の黄金時代を築き上げます。

また幻のモスクワ五輪のメンバーでもあり、五輪不参加の悔しさをバネにした活躍が認められ1982年からは全日本でも主将に。

 

175cmとセンタープレーヤーとしては小柄ながらもその巧みなテクニックやセンス抜群のブロックで大活躍し世界を代表するセンタープレーヤーとしての評価を手に入れました。

1984年ロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得し、一度引退するものの1987年に復帰、再度主将として全日本を1988年ソウル五輪に導くも屈辱の4位に終わります。

その後現役を引退し、現在は後進の育成にあたっているようです。

 

大林素子 - 元祖バレー界のスーパーアイドル

身長:184cm

愛称:モトコ

幼い頃は歌手になるのが夢だった女の子だった大林選手。

その後本人の意思に反してどんどん身長が伸びていき悩んでいたところ、テレビで『アタックNo.1』の再放送を見てバレーボール選手になることを決意します。

バレーの名門八王子実践に在学中の1985年に全日本に初選出され同年のワールドカップに出場した「元祖スーパー女子高生」でもある大林選手。

高い身長とサウスポーを活かしたモトコスペシャル(本来とは逆方向のコート左側に走っていくブロード攻撃)で世界にその名を轟かせ、その端麗な容姿も相まって一躍バレー界のトップアイドルとなります。

184cmのオポジットながら守備も上手く、レシーブの中心であった点も木村沙織選手と重なります。

1988年ソウル五輪、1992年バルセロナ五輪、1996年アトランタ五輪に3大会連続で出場するも、次第に世界のバレーレベルが向上していく中で地位が低下していた日本チームのエース・大林選手は遂にメダルを獲得することはできませんでした。

なお、現役自体あの中田久美のトスに対して「こんなボール打てない!」とふてくされたという”伝説”を残している大林さんはその自由奔放なキャラクターでも世間の人気を博し、現在までもタレント・女優・解説としてマルチに活動されています。

 

大懸郁久美 -波乱万丈の小さなエース

身長:173cm

愛称:イク

1996年のアトランタ五輪に大林選手とともに出場し、最年少ながら全試合に出場した大懸選手。

しかしそのアトランタ五輪では全日本は過去最低の9位という成績に終わります。

90年代は世界のレベルが上がる中で日本の国際大会における成績はズルズルと転落していくという停滞期でした。

そしてアトランタでの失敗の後、日本バレー協会は大幅な若返りを推進、新生全日本の若いメンバー達を引っ張ったのが大懸選手でした。

173cmと小柄ながらもブロックのワンタッチを狙ったスパイクや安定した守備でチームに貢献し1997年世界ベスト6、1998年アジアベストプレーヤーに選ばれるなど国際的にも評価されます。

しかし、エースとして迎えた2000年シドニー五輪最終予選。

12名のメンバーの中オリンピック経験者は大懸選手ただ一人という経験の浅いメンバー構成や、直前に怪我人が続出しベストな布陣を組めなかったことなども災いし、全日本は史上初めてオリンピック出場権を逃すという屈辱を味わいます。

失意の中2001年一度現役を引退し、結婚して成田に姓を変えたあと、2003年に久光製薬に入団して現役復帰し、その安定したレシーブ力や経験を買われ2004年全日本にリベロとして復帰、アテネ五輪出場を果たしました。

その後は全日本から離れるも国内リーグでリベロ・アタッカーとして活躍し2011年にパイオニア・レッドウィングスを退団して現役を引退しました。

なお、2000/2001年Vリーグで記録したサーブレシーブ成功率87.4%という驚異の数字は現在も破られていません。

 

高橋みゆき -世界の壁をぶち破るニッポンの元気印

身長:170cm

愛称:シン

2000年に全日本に初召集されるもシドニー五輪予選敗退という屈辱をいきなり味わうことになった高橋選手。

2002年には全日本のキャプテンに就任するも世界選手権で過去最低の13位予選敗退という憂き目にも会い、日本バレーの暗黒時代を知る選手です。

しかしブロックの隙間を狙う高度なテクニックと高いレシーブ力で右に出るものはなく、2003年に全日本監督に就任した柳本監督にも絶大の信頼を置かれて中心メンバーとして活躍し、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪に出場します。

またその陽気なキャラクターでも人気を博し、ダウンタウンの浜ちゃんや法律相談所等で活躍し突然芸能界を引退した某有名司会者など芸能界の大御所からも愛されていました。笑

選手としては2005年が全盛期で、ワールドグランプリ2005では世界の高い壁を相手に面白いように攻撃を決め、見事ベストスコアラーを獲得し、その活躍が評価されイタリアセリエAで2シーズンプレーしました。

 

栗原恵 -笑わないエース、プリンセスメグ

身長:187cm

愛称:プリンセスメグ

三田尻女子高校春高優勝を果たし、大山加奈選手とともに「メグカナ」コンビとして女子バレーブームの火付け役となった栗原選手。

187cm(栗原選手は当時は186cm)の高身長10代コンビが両レフト対角を組むという今迄では考えられない夢の布陣でワールドカップ2003で5位に食い込むなど日本中に女子バレー復活を印象付けました。

2004年アテネ五輪では思ったような活躍が出来ず、その後成長を求めてNECからパイオニアに移籍すると2005/06年VリーグではMVP、ベスト6、サーブ賞の3冠を達成する活躍を見せ、2007年からは全日本に復帰しエースとしてチームを北京五輪出場に導きました。

 

2009年には眞鍋ジャパンの副キャプテンに就任するも以後度重なる怪我に苦しみ、日本が28年ぶりに銅メダルを獲得した2012年ロンドン五輪には出場することができませんでした。

しかしその後も国内でバレーボールを続け、現在も日立リヴァーレで活躍しています。

 

木村沙織 -日本バレー復活の立役者、ミラクルサオリン無限大

身長:185cm

愛称:ミラクルサオリン

2003年、全日本に初選出された木村選手は当時17歳の女子高生。

レフト・ライト・センター・セッター・リベロどこでも出来る多彩な才能を活かしオールラウンダーとして柳本監督の信頼を得て、2004年アテネ五輪最終予選初戦の強豪イタリア戦ではなんとスタメンとして出場し大金星に貢献します。

 

アテネ五輪では持病の腰痛のため思ったような活躍はできませんでしたが、現役女子高生として史上初めてオリンピックに出場しました。

その後若くして全日本の攻守の要としてスタメン固定された木村選手は北京五輪にも出場し、チーム最年少ながらエースの栗原選手を抑えてチーム内最高得点をたたき出します。

2009年にスタートした眞鍋ジャパンの下でその才能が覚醒、2010年にはVリーグMVP、ワールドグランプリベストスコアラー、世界選手権銅メダルなど数多くの好成績を残します。

そして2012年エースとして出場したロンドン五輪では準決勝の中国戦で33得点を挙げる大車輪の働きでフルセットの大激戦の末チームを勝利に導き、3位決定戦で韓国を下して見事銅メダルを獲得します。

2010-2012年頃の木村選手は総得点・スパイク・レシーブ・サーブなど全ての指標でトップクラスの成績を残しており、まさに世界を代表するエースとして活躍していました。

その後世界最高峰のトルコリーグへ移籍し、2013年には全日本キャプテンに就任しますが、長きにわたるスランプに苦しみます。

2016年リオ五輪最終予選では韓国にまさかの敗戦、タイにも3-2などチームは不振を極め、シドニー五輪以来の予選敗退がよぎる緊急事態に陥りますが、ここでチームを救ったのが木村選手。

イタリア戦で驚異の31得点を叩きだしチームをリオ五輪出場に導きます。

このイタリア戦に代表されるように、「絶対に負けられない勝負所」での得点能力が異常に高いのが木村選手の特徴です。

リオ五輪では準々決勝敗退に終わり、一時はそのまま引退の予定もあったそうですが家族やファンの後押しで1シーズンVリーグを戦うことを決意します。

そして2016/17年Vリーグ東レアローズのエースとして全試合にスタメン出場し、先日のNEC戦に1-3で敗れてその長きにわたる現役生活に終止符を打ちました。

 

いかがでしたでしょうか。

脈々と受け継がれてきた日本女子バレーのエースの歴史。

今後の日本のエースとしては長岡望悠、古賀紗理奈、石井優希らが候補に挙げられていますが、現時点で上記の8人に並ぶエースは見当たらないような気がします。

これから今の選手たちがどう成長していくか、見守っていきましょう!